「ダルムシュタットと日本」といっても、市内にまがい物のおすし屋さんが何軒かあることと花王ドイツ社があることぐらいしか思いつかなかったのですが、意外な場所で深い縁を見つけました。
それは、、、ヘッセン州立博物館。
ホームページはこちら。これがまたかっこいいんです。ヘッセン州立博物館について知りたい方はこちらをお読みください。
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この日は国際博物館の日(5月18日)を記念して入館料無料(18歳以下はいつでも無料)
ここでは
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「世界の珍奇な動物コーナー」に日本が誇る、タカアシガニ(ドイツ語名Japanische Riesenkrabbe 直訳:日本の巨大ガニ)とオオサンショウウオ(ドイツ語名Japanischer Riesensalamander直訳:日本の巨大トカゲ )が展示されています。が、ご紹介したいのはこれらではなく、
こちら。
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ぎろっ。
日本の甲冑です。遠くにいる監視員の他には人影のない展示室でこれを初めて見つけた時、「ガラスケースの中に人がいる!」とドキッとしました。他にも日本刀、銅製の和鏡、アイヌ民族の家の模型と狩猟道具などがあります。えぇ?なぜここにこんなものが?しかもよくわからない取り合わせで。こぢんまりと。
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持ち手つき銅鏡(柄鏡)。江戸後期
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ここは日本コレクションと名付けられた一画。そこに展示されている品々を集めたのはユリウス・カール・スクリバという、いわゆるお雇い外国人として明治期の日本にやって来て、最期は日本の土となった人物でした。
1848年、ダルムシュタット郊外の小さな町・Reinheimで生まれたスクリバは、ダルムシュタットで薬学、ハイデルベルクなどで医学を修め、1881年に来日。東京帝国大学で外科、皮膚科、眼科、産婦人科などを教えました。皇太子時代のニコライ二世が襲われた大津事件(1891年)、日清戦争後の講和交渉で来日していた李鴻章が狙撃された事件(1895年)など、当時の世界のVIPが絡んだ大事件発生時には現地に駆け付け治療に当たったそうで、まさに当時の日本を代表する医師だったのでしょう。
展示室の説明文によると、これらの品は1888年に寄贈されたもの。スクリバが東京帝国大学で教鞭をとっていたのは1881~1887年と1889~1901年なので、最初の契約が終わった時、日本の品々を携えドイツへ帰国したのでしょう。貨幣、武具、絵画類、漆器、銅鏡、アイヌ民族関連などかなり膨大なコレクションだったようで、もう日本に行くことはないと思って故郷の博物館に寄贈したのかも知れません。しかし翌年、スクリバは再び日本へと旅立ちます。彼のコレクションの大部分も再び日本に戻り、残されたほんの一部がここに展示されています。
多くの後進を導き、日本における西洋医学の礎を築いたスクリバ。「ベルツの日記」で有名な友人・ベルツのように日記を出版していないせいか、同時代の同国人で同職のベルツに比べ、いまいち一般に知られていない彼ですが、その功績は勝るとも劣りません。東京・本郷にある東大医学部のキャンパスには現在もふたりの胸像が並んでいるそうです。日本人女性と家庭を築き、3人の男の子に恵まれ、1905年に没したスクリバは、東京の青山墓地で家族と共に眠っています。 そしてスクリバの故郷の博物館に残された品々は、100年以上経った今日も、はるかな海を越えて未知の国へ旅立った人々の物語を語り続けています。
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文:ハイナー
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